tomshannon’s diary

69歳の爺です、ストレス解消に素直に記したいと・・・

今更ながら「端午の節句」

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         今更ながら「端午の節句」って?

 

 この行事は古代中国で始まったもので、旧暦5月が物忌みの月とされていた中、5が重なる5月5日は”重五”と呼ばれ、この日にショウブやヨモギを門につるしたりショウブ酒にして飲むなどで、邪気を祓う行事が行われていました。

 

 端午の節句の”端”とは、「初」という意味で、かつては5月に限らず月の初めの午(うま)の日を”端午”と呼んでいました。

 

 日本ではもともと端午節供は、日本では女性のお祭りでした。

田植えを始めるこの時期に五穀豊穣を祈り、田植えをする女性=早乙女(さおとめ)が巫女となって菖蒲や蓬(よもぎ)で屋根を葺いた小屋で身を清め、田の神に対する女性の厄払いの日だったそうです。

この風習が中国から伝わった風習と結びつき、菖蒲湯に入るという習わしが生まれたと考えられています。

 

 現在のように端午の節句が男の子のお祭りになったのは平安時代からで、

菖蒲は勝負や尚武(武事を尊ぶ)に通じる事から勇ましさの象徴となり、鯉のぼりを掲げて武者人形を飾るなど、男の子の祭りとして定着していきました。

 

 江戸時代に、五節供の一つ「端午の節句」に定められ、武者人形を飾るようになり「龍門を昇って鯉が龍になった」という中国の故事にあやかり鯉のぼりを立てるようになったと言う事です。

 

 因みに、端午の節句にチマキを食べる習慣は中国の伝説に由来しています。

古代中国の「楚」の詩人「屈原(くつげん)」が五月五日に川に身を投じて死んだことを人々が悲しみ、命日になると竹筒に米を入れ、川に投げ入れていたところ、屈原の霊が現れ「米を龍に取られるので、竹筒ではなく龍が嫌うチガヤの葉で包み、糸で結んで欲しい」と言った話が伝わり、この日にチマキを食べるようになったとのことです。

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