十二単は十二枚では無かった?
「清少納言」からの流れです・・・
先日の天皇ご即位の時に雅子様が着用されていたのが「十二単」です。
十二単は、奈良時代の後期に着物の原型が生まれ、平安時代により現代に近い着物が生まれた、その平安時代の中期に完成したのが女房装束の儀服です。
宮中などの公の場所で晴れの装いとして、宮中の儀式など、公家女房の晴れの装いとして用いられました。
唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ)・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)から成ります。髪型は大垂髪(おすべらかし)が基本。
重さは平均20kgもあり、重ねる衣の枚数は十二枚ではなくまちまちで、室町時代以降は5枚となり、それ以後「五衣」と呼ばれるようになりました。
正式名称は「五衣唐衣裳」で、十二単と呼ぶようになったのは、宮中では十二単とは呼んでおらず、世間が『源平盛衰記』にある「弥生の末の事なれば、藤がさねの十二単の御衣を召され」という言葉を取り違えてしまったことで十二単と呼ぶようになったようです。
平安時代の平均気温は現代よりも1℃ほど低く、防寒のために重ね着していたといわれています。防寒着の中にも雅な心を忘れない昔の人は素敵ですよね。
「十二単」
花言葉 「あなたを待っています」
本州から四国に分布していて、明るい林内や道ばたなどに自生しています。
高さは10~25センチで、4月から5月ごろ、茎頂に穂状花序をだし、淡紫色または白色の唇形花を咲かせます。
和名は、花が幾重にも重なって咲く様子を、女官の十二単に喩えたもの。