「清少納言」の生涯
薄明るくなりかけた ベランダに出てみる
いつもの風景・・・
しばらくすると 雲の間から朝日が顔を覗かせた
雲が恥ずかしそうに 淡い橙色に染まりだした
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こんな歌を思い出した
『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。』 清少納言
春はなんといってもほのぼのと夜が明けるとき。だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子。
この歌と出会ったのは小学生の高学年か中学生の頃だったと思う。
淡い思い出が蘇えるwww
落書きです。
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枕草子は、清少納言が宮仕えをしていた7年間の出来事や考えたことを書いた随筆です。
966年頃、あまり身分の高くない受領階級の娘として生まれました。
歌人として活躍していた家系で、父親は後撰和歌集の撰者でもある清原元輔で、その文才を受け継いだのです。
そして993年、清少納言が30歳くらいの時に一条天皇の妃である中宮定子に仕えるため、宮中に出仕しました。
定子と清少納言は非常に仲が良く、当時貴重だった紙を定子に貰った事が枕草子執筆のきっかけになったといいます。
清少納言はこの枕草子を密かに書いていたのですが、左中将の源経房が訪れた時にこの本を借り、それを周囲の人間にも読ませた事から世間に広まっていきました。
清少納言の出仕から1年程たった頃、定子は父を亡くし、兄が流罪になるなどがあり、その後は定子も清少納言も惨めな経験も余儀なくされたのでした。
しかし、枕草子にはそういった辛い出来事などは書かれていません。
枕草子執筆のきっかけとなった定子でしたが、清少納言に紙を渡した数年後、24歳の若さで亡くなってしまいます。
定子は枕草子の全編を読むことが出来たのでしょうか・・・
ちなみに清少納言は当時としては長命で、60歳程まで生きたとされています。
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淡い思い出w
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